妙なる囁きに 耳を澄ませば
          〜かぐわしきは 君の… 3

 “男子三日逢わざれば刮目して見よ"



人への慈愛を説きながら、なのにその御心を特定の愛へ縛ってはならぬ。
彼からの大きな愛は、小さき者すべてへ平等であらねばならぬ。
何物へも同じだけという“普遍”でなければ争いの種にもなりかねぬ。

 特別を作ってはならぬ光なら、
 せめて闇の中での睦みを重ねよか。
 恋と言う名の秘密の美酒は、
 貴方以外は何にも要らぬと、
 無垢な舌が紡ぐ罪 くすぐる未知の味。
 目眩いが襲うほど、甘くてやさしい盃なれど、
 独りで居るには寂しすぎる蜜の閨…。




     ◇◇◇



ガラスや何やという、目に見えるような仕切りや壁は見当たらないが、
それでも、そちらとこちらが決して交わらぬよう
頑として隔てられた別空間であるらしいことは明白だ。
向こうでは重力から解放されているものか、
亜空間の中に何の支えもないまま、
投げ出した四肢を力なく泳がせ浮かぶ彼は、
純水の中、かすかな対流にも抗えずにたゆとう、儚い幻のようでもあって。

  ―― こんなところで、何してるのサ、キミ

なめらかな石を床へと敷き詰め、それは立派な円柱が居並ぶ空間は、
さすが天界の神殿の、更に奥まった深部に構えられし聖堂。
荘厳な趣きと、閑としてはいるが重々しい空気とで、
冷たく冴えての透徹な、微妙な緊張感をたたえており。
その中央部へ据えられた空間に、
ほのかな明るみと共に囲われているのが、
紛うことなき、神の御子イエスの変わり果てた姿。

 「端的に言えば、眠っておられるだけです。」

毒素に冒されているでなし、何物かの強い念に拘束されているでなし。
物理的にも精神的にも、
ここ流で言えば、その御身にも御心にも、危険な因子は何一つ拾えない。
ただ、どんな呼びかけにも応じてくださらず、
ここまで意識へ蓋されての深き眠りというのは、
これまで一度もあり得なんだ事態ゆえ、

 「一体何が起こっているのか、
  どんな些細なことでも積み上げて精査しようということに。」

そうと紡いだ天使らから、真っ直ぐな視線を向けられた側としては、

 “些細なこと、か”と。

ついつい、大人げなくも揚げ足を取りたくもなる。
そうさな、たかだか日本の小さな町の空を
2日ほど陰鬱に曇らせる程度に案じていただけ。
そんな影響が出ているとさえ気づけぬまま、
小さなアパートの六畳間で、自分の膝を自分で抱えて
出掛けたままのイエスの帰りを待っていたブッダであり。
放り出されたスマホへは、
今朝ほど“天界へ至急戻ってくれ”との召喚メールがあったが、
そんなものを優先する気にもなれぬまま、
何がどうしたかの問い合わせさえ放置しておれば。
さすがに様子がおかしいと梵天がわざわざ降臨して来て、
あらためて告げたのが、

 『雲上の天乃国にて、
  イエス様の身に大変なことが起きているのですよ。』

 『……っ。』

決して漏洩されてはならぬことゆえ、
メールなどでは到底触れられず、詳細として挙げられなんだだけ。

 『確かに、
  イエスは天界からの呼び出しがあって出掛けていますが…。』

事の発端は、他愛ない一通のメール。
その呼び出しというのが、
今から思えば随分と不審なそれじゃああった。
彼のスマホへ直接掛かって来たにもかかわらず、
主天使としか名のらぬ天使が、
何でこの番号を知っているかなぁと首を傾げたほど
覚えのない相手だとのことで。

 『ミカエルさんたちへ確認を取ったら?』
 『うん。』

そんなこんな言っておれば、
確かに主天使格の精霊という存在が、
非常事態ですのでと天から直接その翼もて降臨し、

 《 一刻を争います、マリア様にも関わる事態です。》

そうまで言われて急かされ、
半ば攫われるような強引さで天へと駆け戻った彼らであり。

 【 うん、無事に到着しはしたよ?】

案じてのこと連絡を取ってみれば、
間違いなく天国の門まで着いたというし、

 「はい。イエス様は、確かにお越しになりました。」

天の神殿の奥向き、癒しの天使たちが主管となって管理する“合”の間に、
やはり召喚されていた、門の番人ペトロもそこは肯定したけれど、
弟のアンデレが言うには、

 「ただ、お連れはなしのお独りで、だったっス。」

連れて来てくれた主天使とやらは、
先に神殿へ向かっておくと言い置いて
雲上に着いた途端、別れてしまったとのことで。

 「ですが、そんな大ごとなぞ
  勿論のこと起こっていませんし。」

その旨を、勿論のこと イエス様へもお告げしました。
第一、主天使様なぞ通ってもおりませんしと付け足せば、

 『そう…。』

ペトロの言葉を信じぬ訳ではないけれど、
その聖なる翼にて、地上から此処へまで
自分を連れて来れた力を持つ以上、天使には違いない。
自分はもとより、共にいたブッダにも
魔物や邪神の気配は察知出来なかったようだしと、
その身元を疑う気にはなれなんだらしいイエスとしては、

 『此処まで来てしまったのだから、
  父さんや母さんに挨拶して帰るよ。』

特にどこへという報告も要らぬと彼らに言い置くと、
門をくぐって、そこからどこへ行ったかは彼らにも判らない。

 「報告は要らぬと言われましたが、
  イエス様のご帰還とあらば、神殿へ知らせぬ訳にも参りません。」

ペトロが彼の守護を担うミカエルたち大天使へ連絡を取ると、

 「GPS上では
  何処へも移動していらっしゃらなかったのですよ。」

他でもないイエスを巡って、
途轍もない齟齬が人知れず起きているようだという事実が
じわじわと判明して来るにつれ、
主管筋の面々は皆 浮足立ったものの、

  ―― 表沙汰にしては更なる大きな混乱が起きよう、
     そこへ付け込むものも現れぬと限らぬから、と

秘密裏に探索の網を広げたところ、
神乃国の奥まったところにある真理の森の中ほどで、
昏倒していたイエスが見つかったという。

 「今と同様、
  お体にもお心にも何の異状も無いまま、
  ただただ眠っておられるだけ、でしたので。」

よもや魔性の何かに攫われてしまわれたのかと案じていたところ、
胸を撫で下ろして、そのまま神殿までお連れしたのですが、

 「妖異の影も、魔物の香りも一切せぬというに、
  一昼夜経ってもお目覚めになられないのです。」

癒しをつかさどる大天使ラファエルだけでなく、
人の姿もつ存在の最上階位であろう、
慈愛の主天使ザドキエル、浄化の主天使ムリエルも顔を揃えているし、
姿を示せぬながらという もっと上位のかたがたも、
周辺で眸を光らせておいでなものか、
荘厳な威圧というものを ブッダもその肌へひしひしと感じてはいる。

 「何物のどういう魂胆かは今もって不明ですが…。」
 「御主に準ずる御子、イエス様への干渉とは、
  確かに穏やかな話ではありませぬな。」

こんな非常事態ゆえ、どんな例外もなくの人払いが賢明なれど。
浄土世界の御方ながら、最も彼の傍にいた存在ゆえ
天部である梵天を通じて、御足労いただいたのですがと。
あらためて…何か心当たりはないか、問われていることさえ、
もはや耳には入って来ない。

 「………。」

御主の周囲は熾天使セラフィムらが完璧に護衛しているし、
此処の要人にあたろう聖母マリアらも、
この事態とあって厳重に見守られておいでだが、
今のところは干渉してくるような気配もないまま、
そちらには何ら異状は起きていないとかで。

  極端な話、異常事態なのはこの空間だけ。

イエスという存在が目覚めないということを除けば、
どこもかしこもなんら変わらぬ。
目を閉じて世界をまさぐれば、
風は時と共に穏やかに巡っているばかりで、
人々が笑ったり困ったり怒ったりしている様を愛でるだけだし。
陽の光も月の輝きも、
健やかにあるいは清涼に、地上を照らして音もなく。

 「…………………。」

ほんのすぐそこ、目の前にいる彼は、
肩から腰へという長いストールをまとってこそいるが、
ローマ調の正装のトーガではなく。
エルサレムの民の平服らしき、
筒袴のようなズボンと、
やはりすぼまった袖つきのシャツという、
いささか簡素ないで立ちをしており。
こちらではお馴染みの服装なのだろうが、
ブッダとしては“あまり見たことがないなぁ”と
今の今になって気がついた。
背まで伸ばした髪をゆらゆらとたなびかせ、
茨の冠の下、薄いまぶたを降ろしたまま、表情もなく眠り続ける彼の人を、

  どうして私、
  こんな離れたところで
  見ているだけでいなければならないの?

結界が邪魔、錯綜障壁が邪魔。
どうしてそんなところでキミ、
私を二日も放り出しといて、
そんな穏やかに眠ってるわけ?

 「――? ブッダ様?」

何か訊かれたような気がしたが、今はそれどころではない。
集中のバランスが偏ったか、
肩へ背中へ バサッと音立てて螺髪が解けて深藍の髪がほどけ流れる。
地上から直接やって来たがため、
Tシャツ姿のままだった上へと覆いかぶさったそれは、
どんな意匠の式服より荘厳で佳々しい威容を示し、綺羅と麗しく。
長い睫毛が縁取る深瑠璃色の双眸が放つ視線は、真っ直ぐなまま凛然として鋭。
乳白色の肌が内から放たれた微光によって淡く輝き、

 それはなめらかに進められた歩みを、
 そこにいた誰にも制すことは出来ぬまま

居合わせたほぼ全員が、
それぞれに相当な格の神の眷属であったにもかかわらず。
人から解脱した仏である彼を、見ているしかなかった数刻は、
あっと言う間にその空間を閉じて、手の届かぬところへ彼を運んでいる。
それは高位の天使らの手により、
複雑な咒を幾重にも折り重ね、確かに築かれたはずの“合”を抜け。
何物にも触れさすまいと隔離したはずのイエスの間近へ、
長い長い髪をたゆたゆと泳がせながら、それはゆっくりと近づく彼で。

 《 〜〜〜〜〜。》

何か語りかけているようだが、隔離された中の声は外へは聞こえないようで。
それがそのまま慈愛の力のような、やさしくも淡い輝きをまとったままの彼は。
穏やかな表情のまま、イエスの傍らへまで達すると、
やわらかな手でゆらゆら泳ぐ濃い色の髪をそおと梳いてやり、

 《 〜〜〜。〜〜?》

たとえるなら慈母の微笑み、
穏やかで温かい笑みのまま、何かしら囁き続けており。

 「……………。」
 「届いているのでしょうか。」

自分たちには同じ真似もできぬ、近いが遠い“向こう”でのやりとり。
ただただ見つめるしかない面々が、手に汗にぎって見やっておれば、

 《 ……………。》

形よく結ばれていたイエスの口許がかすかに震え、
深い呼吸のせいだろう、薄い胸元が上下する。
やや臥せられたブッダの眼差しを下から掬い上げるよに、
深い眼窩に ぱちりと灯ったは、皆が待ち兼ねた玻璃の光。

 「…っ!」
 「イエス様っ!」

何ということ、これこそ奇跡と、
見守るしかなかった人々が躍り上がるようにして歓喜の声を上げたれど。
そんな中で唯一、表情を動かさずにいた存在がひとり。
神殿には不遜とされる太刀を唯一帯びること許された破壊の大天使が、

  ……………っっ!

不意にその鋭い双眸を刮目すると、
御主より賜りし神刀の神聖なる刃をぶんと一閃したは、

 「うわっ、」
 「なに、どうしたのウリエルっ。」

一気に沸き立ったばかりな歓喜へ、
これまた一気に凍るような冷気もつ殺気をそそいだそれで。
しかもその鋭い一撃に続いたのが、

 「そこっ。」

これも冷静だった梵天氏、
両端に刃を秘した独鈷を繰り出すと、
投げ付けたのがウリエルの太刀を受けた円柱の半ば。
そこには こちらへ届いているはずのない
“向こう”のイエスとブッダの影が落ちており。
しゅうしゅうと立ちのぼるは黒々とした忌まわしき瘴気と共に、
苦しげに転がり出た魔物を全員がかりで取り押さえ、

  天界の一部をこそりと騒がせた一大危機は、
  慈愛の如来の起こした奇跡によって、
  コトなきを得ての解決に至ったので………







     ◇◇◇



 『ブッダ、お腹空いた。』
 『そうだね。キミ2日も何も食べてないんだし。』

複雑な印と咒によって築かれていた錯綜結界を解き、障壁を無効化し、
やっとのことでコトの主役だった二人の元へ、他の面々も至ったときには、
彼らの間で既に“帰ろう帰ろう”とのんきな算段が固まっており。

 『何が食べたい?』
 『んっと、サツマイモご飯とあぶ玉煮vv』

キミそれ好きだねと、
ほんわり微笑った下ろし髪のままのブッダへは ラファエルや梵天が。
えへへぇと屈託なく笑ったイエスへは、
ミカエルやガブリエル、ペトロらが殺到してとりつく。
そうなるまで自分たちの置かれていた状況を、
イエスは今一つ判っていなかったようだし、
ブッダはうっかりと忘れ去っていたらしく。
これはまた大ごとなと、ありゃというお顔を見合わせた彼らだったけれど。

 「一体何を囁いて、イエス様をお起こしになったのですか?」

捕らえられた妖異は、大昔 御主によって退治され、
地獄の奥向きへ封印されていた魔神の使い魔だったとか。
主人を解放したくて、聖なる存在を操ろうと、
天使に始まり、大天使、権天使、
そして主天使と次々に寄代を取り替え乗り移りして、
やっとのこと、イエスにまつわる情報を得、
今回の奇襲に打って出たらしいが。
さすがに神の御子を操るには力不足であったらしく、
これはまずい存在がと察した彼により、
その意識下へ逆に封じられてしまったらしい。

 なので、

 『ブッダが来てくれるの待ってたんだvv』

眠る私を起こすとなれば、ブッダ以上の上手はいないもの、と。
それは和やかに告白したイエスだったのへ、

 『………それって。』
 『まさか…vv』
 『言っとくけど ちうじゃないよ。』
 『………っ。////////』

ややこしい混乱の中、さあさ帰りましょうと、二人ごと小脇にかかえると、
いつものガチョウではなく、朱雀という聖鳥を呼んだ梵天が、
あっと言う間に攫ってくれたのが、こたびは ある意味 助かったものの。

 「何を囁いたかって…。」

辿り着いた松田ハイツにて、
その功労者から先の一言を聞かれ。
さっそくにも薄あげと玉子で
あぶ玉煮の下ごしらえに取り掛かったブッダが、
菜箸片手に一瞬固まってから…ちらと見やったは、
えらい目に遭ったイエス当人だったりし。
そして、

 「……えっとぉ。///////」

お顔が真っ赤になったヨシュア様だという、このやり取りからして。
自分から発端を匂わせておきながら、
口外されたら困るのは、どうやらイエスの方らしいと気がついた梵天が。
絶対に他言しませんと約して聞いた、ブッダ様からの決め文句というのは、

 @ずっと放り出されてて寂しかったんで、浄土へ帰ろうと思う

 A早く起きないとお味噌汁が冷めてしまうよ?

 Bこれから新宿まで買い物に出るんだけど、
  あちこち回るから、わたし夕方までは帰らないよ?


 はてさて、一体どれだったのでしょうか?




     〜Fine〜  13.09.12.


  *タイトルがどっかで聞いたような諺ですが、お気になさらず。(笑)
   ここの大タイトルを掲げて展開させた例のお話、
   実は大元として、
   こういう運びの話をまずは考えたんだよというのを、
   恥を覚悟のダイジェストでお披露目でございます。
   オチがひどすぎるというか、
   つか、オチってなに?っていう運びになっちゃってて。
   こんな緊迫している中で、ブッダ様、それはない。
   イエス様もそれはない。(まったくです)
   ちいともシリアスな〆めにならんので、
   ああこの路線では書けないと、一旦断念した訳ですよ。

  *一応は大団円まで持って行けて
   ああよかった…なお話にまとまってくれましたが、
   実はその真ん中で、考えてた別Ver.のお話もありまして…。

おまけへ → おまけvv


めーるふぉーむvv ご感想はこちらへvv


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